すまけい【松蔵 役・ほか】
そもそもこの小説を勧めてくれたのが、演出の中嶋しゅうちゃんなんです。俺には作品にも作家にも予備知識はなかったけれど、読むほどに胸を打たれ、泣けてね。そんな作品を俺で芝居にしたい、としゅうちゃんが言ってくれたんだからうれしくないわけがない。大きな病気をしたせいで、実現まで何年かかかってしまったけれど、その時間がまた今の、朗読とお芝居を混ぜ、そこに尺八の生演奏が加わる、という舞台の形を生み出すのに、いいように働いたように思えるんです。
それにしても、この作品の中にはイイ男とイイ女しか出て来ない。これは作者の浅田次郎さんがご自分の本の中で書いておいでなので、俺なんかが言うのは口はばったいけれど、登場人物全員が今はもうなくなってしまった「江戸っ子気質」を、きちんと胸に持っていて、だからその行動や喋る言葉のいちいちが筋が通って小気味良いんだ。
例えば今回語る「残侠」に出てくる年とった博打打ちは、酔って足腰立たないような状態でも、松蔵たちの頭である目細の安吉の前に出た途端、型通りきっちりと仁義を切る。また「宵待草」でのおこん姐さんは、自分が年来の大ファンだった竹久夢二から言い寄られても、筋が通らず歩む道が違うと思えばはっきりと意見する。皆が皆、不器用だけど精一杯に、やせ我慢してまで道理をわきまえ、私欲に走らぬ生き方を貫く。それが江戸っ子気質ですよ。
俺は本を読み、この舞台を演じながらこの物語の登場人物たちのファン、贔屓代表になった。だから背筋を伸ばしてきちんと演じ・作らないと、生半かな気持ちで形だけ作るなんてことは出来ませんよ。本気で背筋を伸ばすなんて、俺にはちょっと似合わないけど(笑)、気持ちはしゃんと伸ばしてますからね。
相方は(鷲尾)真知子ちゃんという力のある女優さんで、これもうれしいんだけれど、舞台上では実は、二人が目を見合わせることはないんです。わざと、客席上の中空で目線が出会うぐらいの顔の向きにするよう、演出が施されているのでね。それでいて様々な想い、恋や友情や尊敬までいろんな心を伝え合う場面があるから、すべてを含んで目で見るのでなく、気取って言えば魂、心や気持ちで見ているつもりで芝居をしているんです。そんな気配も、第二夜の今回はより濃く感じて頂けたらうれしいですよね。